美術館へ

平福百穂という画家の絵を見てきた。秋田県角館町の出身で

東京美術学校で学び、明治から昭和初期に活躍し昭和五年に亡くなっている。

母方の爺さんも出身地が同じ、学校も同じ、ただ生きた時代は50年位違う。

あと、平福百穂由来の美術館が角館にある。

定期的に、その美術館に爺さんの絵も飾られることがある。

絵はほとんど関心を持ったことがないけれど、もしかしたら発見でもあるかも

という漠然とした理由で見てきた。

日本画なので、分からないってことはなかった。この時期にしては、見ている人はそこそこいた。

一般の人が見ると1300円掛かる。

どれを見ても真面目な絵だなと思った。ただ真面目だからつまらない感じではなかった。


自分は、爺さんのことをほとんど知らずじまいで終わって。

理由があって、書くととても長くなるので、ざっくりと

母親が高校に入ったころに離婚をしている。30年代前半かな。この時、3人子供がいた。

母親は、父親に付いていき、東京で暮らすも、画家では生活が出来ず、直ぐに婆さんのほうへ戻る。

母親は、この時食べられなかったことを強く思い続けていた。

(おかげで自分は腐ったものを食べることがしばしばあってお腹を壊した。)

母親は、持っていた腕時計を親に売られたことも恨んでいた。

・・そんなことが、頭にしっかり入っていたので、自分は、この爺さんと会いたい気持ちはなかった。

それでも小学校4年の時に、東京へ初めて行った時に、あっているはずなのだけど、記憶にない。

覚えているのは、新しい奥さんの子供だけ(血のつながりのないおばさんになり、おそらく今は60代前半)



この爺さん、東京美術学校の日本画で主席だったて母が言っていた。

ただ、貧しい時代に、新興宗教に傾倒した。

今でこそ、あまり悪いことが言われなくなったけど、このことも自分は抵抗があった。

おそらく安定的に絵を描けるほうを取ったのではと思っていた。

でも、どんなに素晴らしくても、閉じられた世界にいれば、世間に認められにくかっただろうにと思う。

閉じられた世界から少し出た程度で結局終わったように見えてしまう。



それでも自分からすれば立派に生きたことには間違いないのだけど

実家には、30枚くらい爺さんの描いた絵があり、10枚くらい飾られている。



今日も本当は出かけたいけれど、行きたい場所がない。

それにやはり朝起きるのが大変だった。

時間が無駄に過ぎていき、焦っているのが辛い。

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